あれから3年。まだ3年…それとも、もう??
1年前と2年前にも旧育児マンガブログ(FC2ブログの方)で書きましたが…
あの日あの時、僕たちはいつもと変わらない時を過ごしていました。
いつもより少しだけ遅い食事をしていた、その時にあの大地震はおこりました。
この記事は1年前に育児マンガの方で書いた物の再編成です。より読みやすくして再度振り返りたいと思います。
2016年4月14日(木)21時26分
この時嫁さんはお風呂に入っている真っ最中、長女は丁度トイレに行っていました。
僕は当時まだ3才だった次女と一緒にご飯を食べていました。
すると突如聞いたこともないような音が僕の携帯から。
併せて別の場所に置いていた僕の職場用の携帯と嫁さんのスマホからもけたたましいアラームが鳴り響きます。
3方向から鳴るのでとにかくうるさくて驚いたのですが、瞬時に地震が起きることは事前の情報から予感出来ました。
僕の住んでいる場所はかなり地震の少ない地方だったのですが、地震の緊急アラームの存在は知っていましたからね。
でもこんな神経を揺さぶるような音とは思っていなかった。
そして…
熊本県熊本地方を震央とする震源の深さ11km・気象庁マグニチュード 6.5の地震(前震)が発生。
益城町では震度7を観測しました。
※詳細はYahoo地震情報ページにて。
僕はとっさに次女を覆うようにして地震が早くおさまることを祈りながら耐えていました。
途中で次女は大丈夫そうだと思い、揺れていた食器棚を抑えに行ってしまいましたが…
(後々何度考えてもこれは危険行為だったと思っています)
地震がおさまるまでの十数秒がとてつもなく長く感じましたね。
その後…
トイレ中に揺れるなんて困るんやけど…
お風呂中でめちゃくちゃ怖かった…!!
対照的な態度でリビングに戻って来た2人が。
嫁さんはバスタオル姿でかけてきましたね、確か。
まぁ、何にせよ家族は無事。
我が家では食器が割れた程度だったかな?
九州で地震なんて珍しいね、怖かったね…なんて話ながらそれぞれがいつも通りの時に戻ろうとしていました。
そう。
いつもの地震なら大体これで終わるのです。
しかし…
強い地震がいつまでも終わらない!
強い地震が終わらないんです。
時間が少し経ってまた揺れる…の繰り返し。
上記2つは特に揺れが大きかったので僕の住んでいる地方も強めに揺れましたが、それ以外にも熊本では震度2~5弱の地震が14日の間で19回。
15日には震度3~5弱の地震が31回発生していました。(いずれもYahoo地震情報ページを参照)
ただ15日になると段々と広範囲での地震は減り、僕たちも少しづつ安心してきていたんですよね。
15日の夜…僕は上司と出かけていたのですが、『先日の地震凄かったですよね、大丈夫でした?』なんて普通に話していたし、もうこのまま落ち着くだろうと勝手に思い込んでいました。
そして日にちが16日になった頃に帰宅。
リビングで携帯をいじりながらウツラウツラとしていたその時…
先日よりも確実に強い揺れが…!!
2016年4月16日(土)1時25分
この時の揺れは九州地方以外にも山形県の一部から中国地方までの非常に広い範囲で震度1から震度4を観測したそうです。
僕は今回もやはり食器棚を抑えに行ってしまいました。
地震が落ち着いてから寝室に家族の様子を見にいきましたね。
…頭で分かっていても、いざその時になると正しい行動が出来ていません(-_-;)
その後…熊本地方を震源とした地震は想像を絶するほど続きます。
この後1年間での有感地震(震度1以上の揺れ)は4,297回だったそうです。
そして誘発されるかのように阿蘇や大分でも…
熊本県阿蘇地方
大分県
震源地と比べると全然大したことはなかったですが、両者から割と近い位置にある僕の地域も今まで経験をしたことのない揺れを日々観測していました。
あまりに続く揺れで酔う人もいましたし(地震酔い)、僕も地面が揺れているような錯覚を受ける時が多々ありました。
あとこれは仕方ないのですが、あのサイレンの音ですね。
脳に恐怖を感じる信号を送っているらしいのですが、未だにトラウマです。
お風呂時や夜中の暗闇でも何度もなったせいか、暫くの間は怖くて1人で入浴することが出来ませんでした。
そして翌週の4月20日(水)。
熊本県益城町へ
僕の勤めている職場では、以前より親交のあったという熊本県のとある特別養護老人ホームに支援物資を持っていくことになりました。
うちの施設での有事の事や向かう先での危険性も考えて少数で行くことに。
事務長と部長と僕の3名で早朝に施設を出発しました。
育児マンガブログの方では極まれに出てくる僕の親愛なる(?)上司2人ですね。
九州自動車道は当時損傷が激しく寸断されており、途中から通行止めに。
熊本県の植木ICから下道を駆使して走行しましたが、確か3時間半程で到着した記憶があります。
物が消滅したコンビニ
途中で立ち寄ったコンビニ。
ここまで商品のなくなったコンビニを見たのは生まれて初めてでした。
被災した特別養護老人ホーム
その特別養護老人ホームにて。
写真の左に写っているのは僕です。
建物を新築にして数年ということで、外観はかなり綺麗でしたが…
内部は激しく崩壊。
1回目の前震(4月14日の地震)にはなんとか耐えたのですが、2回目の本震(4月16日の地震)で倒壊した箇所が多かったとのことです。
キッチンや食堂・応接室など様々な部屋の壁が崩れ落ち、天井がずれていました。
で…物資を全て降ろし終え、帰ろうとすると施設の方が飲み物やお菓子を用意してくれようとしていたんですよね。
ご厚意はとても有り難かったのですが、飲み物や食べ物・お皿等あらゆる物が不足しているのが分かっているので上司がお断りをしていました。
そして今度こそ帰ろうとすると、『すぐ側の益城町の様子もよかったら見て帰って下さい』と言われたので、立ち寄ることに。
そこで僕たちは想像を絶する光景を目の当たりにします。
実際に見た益城町の被害
益城町の中心地は、古い建物を中心に壊滅していました。
道路はでこぼこでヒビだらけ、電柱は倒れ建物は原型を留めず…
写真にもチラッと写っていますが、自衛隊の車も多かったですね。
上空はオスプレイが飛んでいたかな。
町中(役場近く)では食事の支援も行われていました。
職員の方に言われて来てはみたものの、他県のナンバー車でこの区間を素通りするのは何か後ろめたい感じもしましたね(-_-;)
その辺り一帯はとにかく悲惨の一言でした。
阿蘇地方の被害も甚大だった
ここには震災の1か月後…ちょうど僕がこのブログを始めた直後に訪れたので、その時の記事があります。
この過去記事にあるように、被災地も少しづつではありますが復興が進んできています。
ただ…被災住宅の公費解体や災害廃棄物の処理はほぼ完了したらしいのですが、熊本県では今も仮設住宅などの仮住まいで約1万7千人の方が暮らしているそうです。
あれから3年…
震災…あの本震から今日で丁度3年。
このところは地震も落ち着いてきている様子ですが、時折激しいものが発生します。
今年も年明け早々に震度6弱の地震が発生。
ただこれは熊本地震の余震ではないそうです。
確かに震源地がずれているんですよね、以前よりも北側…うちの弟の住まい近くだったりします。
余震ではないとのことですが、別の地震でこの規模だと思うとそれはそれで恐ろしいです。
安息の時は中々訪れてくれません。
…昨年もその前も書きましたが、僕個人には被災地に対して出来ることはあまり多くありません。
けれども…こうやって実際に熊本の地を訪れ、記事として情報を発信することであればいくらでもできます。
元々大好きな土地で、結婚前から頻繁に訪れていた熊本。
これからも変わらず訪れ続けるつもりです。
あれだけ大きな地震だったわけですが、時が過ぎるとこういった物事は風化していきやがて忘れられてしまいます。
そうならない為にもこれからも熊本県の記事を書き、リアルな風景を発信していけたらなと思っています。
長くなりましたが、ここまで読んで頂いてありがとうございましたm(__)m
コメント
コワいですよね。(-ω-;)ウーン
少なくとも防災道具だけは揃えとかないとなー。
そうか、あれからもう3年たったんですね。いまだに被災地では仮設住宅てわ不自由な暮らしをされてる方も多いようですよね。
ほんと日本は災害が多い国だとつくづく思います。
どんなに怖かったかと思います。
私も阪神大震災を経験したので、地震の怖さは本当によくわかります。
あの時の天井から聞こえた水音とかガスが立ち込める匂いとか・・・後日神戸入りした時の焦げ臭さとかを思い出して怖くなります。令和の時代は恐ろしい災害が怒らないことを祈ります!!
こんにちは。
ブログランキングから来ました。
私は阪神大震災を経験しましたが、
やっぱり地震は嫌ですね。
熊本城の復活楽しみにしております。